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東京地方裁判所 昭和52年(ワ)4813号 判決

原告 田辺多一

〈ほか三名〉

右原告ら訴訟代理人弁護士 佐々木正義

被告 観蔵寺

右代表者代表役員 若井弘雅

〈ほか一名〉

右被告ら訴訟代理人弁護士 岡田弘隆

主文

一  被告観蔵寺は、原告田辺多一に対し、別紙目録二記載の責任役員会議事録を閲覧させよ。

二  被告観蔵寺は、原告らに対し、別紙目録三記載の財産目録を閲覧させよ。

三  原告田辺多一の被告観蔵寺に対するその余の請求及び原告らの被告水野亮昭に対する請求をいずれも棄却する。

四  訴訟費用中、原告田辺多一と被告観蔵寺との間で生じた費用はこれを四分し、その三を同原告の、その余を同被告の負担とし、その余の原告らと被告観蔵寺との間で生じた費用は同被告の負担とし、原告らと被告水野亮昭との間で生じた費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求める裁判

一  請求の趣旨

1  被告観蔵寺と原告田辺多一との間において、同原告が同被告の総代及び責任役員の地位を有することを確認する。

2  被告観蔵寺と原告田辺多一との間において、被告水野亮昭が被告観蔵寺の責任役員の地位を有しないことを確認する。

3  被告観蔵寺は、原告田辺多一に対し、金一〇〇万円とこれに対する昭和五三年二月三日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

4  被告らは、原告田辺多一に対し、別紙目録一記載の報告書及び同目録二記載の責任役員会議議事録を閲覧させよ。

5  被告らは、原告らに対し、別紙目録三記載の財産目録を閲覧させよ。

6  訴訟費用は被告らの負担とする。

7  3、6項について仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 被告観蔵寺(以下「観蔵寺」という。)は、その包括宗教団体である宗教法人真言宗豊山派(以下「豊山派」という。)に属し、豊山派の教義をひろめ、儀式行事を行い、信者を教化、育成し、その他寺院の目的を達成するための業務及び事業を行うことを目的とし、昭和二八年六月一日設立された宗教法人である。

(二) 原告らは、いずれも観蔵寺の檀徒である。

2  原告田辺多一の責任役員たる地位

(一) 原告田辺多一は、昭和四九年八月二九日、観蔵寺の責任役員に選任され、同年一一月八日就任を承諾し、選任のときに遡ってその地位にあった。

これに対し、観蔵寺の総代と称する訴外吉澤茂治、同鈴木藤一及び同関根文三の三名は、昭和五〇年一〇月一六日、原告田辺多一が三宝誹謗の言動により檀徒の衆望を失ったとして、合議のうえ同原告を観蔵寺の責任役員より解任するよう上申する旨の決議を行い、観蔵寺の代表役員と称する訴外南波義範は、翌一七日、豊山派代表役員浅井堅教に対し、同原告の解任を申請したため、右浅井は、同月二五日、同原告を観蔵寺の責任役員から解任した。

(二) しかしながら、右解任は以下のとおり違法・無効である。

(1) 責任役員を解任するには、責任役員に在任し続けることがその者の利益でもある以上、その者に著しい不誠実性のあることが必要であると解されるが、原告田辺多一には解任に値する事実は存在しない。

同原告は、昭和四九年九月一一日、観蔵寺の住職であった訴外若井義弘が死亡したため、同日以降、観蔵寺の責任役員及び総代としての職責上、観蔵寺の昭和四九年度の会計報告、昭和五〇年度の予算編成及び観蔵寺の財務関係を明確にしようとして関係者に善処方を要望し続けていたにすぎない。これに対し、被告水野亮昭及び亡若井義弘の妻若井静枝らは、同被告や若井家による観蔵寺の財産の違法処分の事実が発覚することを恐れ、これを隠蔽するため、同原告の正当な行動を三宝誹謗と称して解任の上申及び申請を企図したものである。

(2) 責任役員を解任する場合に履践すべき手続が履践されておらず、重大な手続違背がある。

観蔵寺規則には責任役員の解任に関する規定がないが、その二九条は「豊山派の規則及び規程中この法人に関係がある事項に関する規定はこの法人についてもその効力を有する」と定めており、これにより豊山派規程一八六条ないし二〇四条が適用されることになる。これらの規定によれば、豊山派宗務総長が懲戒に処する必要がある者を認めたときは遅滞なく総務部長に事実の取調べをさせなければならず、本人及び証人等を喚問し、供述調書作成には本人の署名をさせ、懲戒処分の審議決定がなされなければならないことになっているが、原告田辺多一の解任についてはこれらの手続は全く行われていない。

(3) 後記3(二)、(三)に述べるとおり、原告田辺多一の解任上申を決議した三名の総代のうち、吉澤茂治を除く他の二名は右決議当時総代の地位になかったから、右決議は総代でない者によりなされたものであって、無効である。このように、解任上申が無効である以上、任命権者である豊山派代表役員も解任権を行使することはできず、解任行為は違法である。

(4) 仮に豊山派代表役員は被包括法人の責任役員の解任について裁量によりこれをなしうるものであるとしても、右(1)の解任の動機の不当性に原告田辺多一の意図の正当性等を合わせ考慮すれば、同原告に対する解任行為はその裁量の範囲を著しく逸脱し、権利の濫用というべきであって、違法・無効である。

(三) このように、原告田辺多一の解任は無効であり、後記4に述べるとおり被告水野亮昭は観蔵寺の責任役員とは認められないから、同原告の責任役員の任期が昭和五二年八月二八日に満了したとしても、現在観蔵寺の代表役員以外の責任役員は三名のうち一名が欠員の状態にあることになるので、同原告は、観蔵寺規則八条四項により後任者が就任するまでなお責任役員の地位にあることになる。

(四) しかしながら、観蔵寺は、原告田辺多一が観蔵寺の責任役員の地位にあることを争っている。

3  原告田辺多一の総代たる地位

(一) 原告田辺多一は、昭和三六年一〇月八日、観蔵寺の代表役員亡若井義弘から、吉澤茂治及び菅谷高志とともに観蔵寺の総代に選任され、その就任を承諾した。

(二) 原告田辺多一の総代としての任期は昭和三九年一〇月七日満了したが、その後後任の総代は選任されていなかったところ、昭和五〇年九月一四日、観蔵寺の代表役員と称する南波義範が右吉澤茂治、鈴木藤一及び関根文三を総代に選任した。

(三) しかしながら、南波義範は、後記4に述べるとおり右選任当時観蔵寺の代表役員及び住職の地位になかったから、右選任行為も無効である。したがって、原告田辺多一は、観蔵寺規則一五条三項、八条四項により任期満了後も後任者が就任するまでなお総代の地位にある。

(四) これに対し、観蔵寺は、原告田辺多一が観蔵寺の総代の地位にあることを争っている。

4  被告水野亮昭の責任役員たる地位の不存在

(一) 被告水野亮昭は、昭和五〇年一〇月二五日及び昭和五三年二月一日、それぞれ観蔵寺代表役員と称する南波義範によって選定され、豊山派代表役員から任命されて、観蔵寺の責任役員に就任した。

(二) 被告水野を責任役員に選定した南波義範は、昭和四九年一一月六日、死亡した若井義弘を除く、原告田辺多一、訴外小林脩及び若井静枝の三名の観蔵寺責任役員が出席した責任役員会議において観蔵寺の後任兼務住職に推薦されたとして、同月二五日、豊山派管長から住職の任命を受け、観蔵寺の代表役員に就任した。

(三) しかしながら、南波義範の住職任命は以下のとおり無効であり、代表役員は住職の地位にある者をもって充てるとされている(観蔵寺規則七条一項)から、被告水野は、代表役員の権限のない右南波により責任役員に選定されたことになるし、また前記3記載のとおり当時は原告田辺多一が責任役員の地位にあったものであり、結局、被告水野は、観蔵寺の責任役員の地位になかったというほかない。

(1) 昭和四九年一一月六日の責任役員会議なるものでは住職推薦に必要な責任役員の合議(観蔵寺規則七条二項)が何らなされていない。

当日は責任役員でもない被告水野、亡若井義弘住職の実母訴外若井ヤウ、実兄訴外若井弘文らが出席しており、これら若井家の身内を中心に雑談が行われたにすぎない。議長の選出も後任住職任命に関する議題の提出や議事の運営もなく、責任役員会議といえるものではなかった。この際被告水野から南波義範を責任役員に紹介する旨の発言があっただけで、全責任役員の間で自由意思に基づく明確な意思の合致があったとはいえない。結局、右合議は不存在であるというほかない。

住職に推薦された者は遅滞なくその任命を豊山派管長に申請しなければならず(観蔵寺規則七条三項)、管長は、責任役員が合議の上推薦した者を住職に任命する(豊山派規程一二一条一項)ことからすれば、責任役員の合議に基づく推薦は、単なる候補者の推薦ではなく、管長の任命権を拘束する手続と解されるから、推薦のための合議に瑕疵があれば住職選任手続全体が無効となるということができる。

(2) 住職の任命申請は、書面で行うことを要し、かつ書面上に責任役員全員の署名及び宗務支所に届出済の印鑑による捺印が必要であるが、右の任命申請書(甲第九号証の一)の原告田辺多一の署名は同原告本人のものではなく、捺印も偽造された印鑑を用いたものであるから、右任命申請は無効である。

(四) 被告水野亮昭は、昭和五七年六月二三日、観蔵寺代表役員と称する訴外若井弘雅により選定され豊山派代表役員により任命されて観蔵寺の責任役員に就任した。

(五) しかしながら、若井弘雅の住職任命は、前記2記載のようになお責任役員の地位にある原告田辺多一を排し、責任役員の地位にない被告水野亮昭の関与した推薦合議に基づきなされたものであって、観蔵寺規則に反し無効であり、被告水野亮昭は、代表役員の権限のない若井弘雅により責任役員に選定されたものであるから、やはり責任役員の地位にないものといわなければならない。

(六) このようにして、被告水野亮昭の責任役員への任命はいずれも無効であって、同被告は現在にいたるも適法な選定を受けておらず、観蔵寺の責任役員の地位にはない。

(七) これに対し、観蔵寺は、被告水野亮昭が観蔵寺の責任役員の地位にあると主張している。

5  名誉毀損の事実

(一) 観蔵寺は、前記2(一)記載のとおり原告田辺多一の言動を三宝誹謗と決めつけて解任手続を行い、引続き、昭和五〇年一〇月三〇日ころ多数の檀信徒宛に発送した説明会通知書において、同原告が「肩書を詐称している」「昨年来不当な言動を繰り返してきた」あるいは「南波住職をやめさせ故若井住職の遺族を追い出すことが目的である旨公言した」などと真実に反する事実を摘示し、あげくに「田辺氏は前記のような私的な目的のために皆様の間に混乱を起こそうとしている」と何ら根拠のない憶測を述べている。

(二) 原告田辺多一は、前記2記載のとおり観蔵寺の責任役員であって、観蔵寺と委任ないし準委任契約関係にあり、観蔵寺は、委任者として受任者をその名誉を毀損するような態様で解任してはならないという契約上の義務を負っていたものということができ、同原告は、右義務に違反した観蔵寺の右(一)の行為により著しく名誉を毀損され多大の精神的損害を被った。

(三) また、観蔵寺は、故意により右(二)の行為を行ったもので、その行為は不法行為を構成する。

(四) したがって、原告田辺多一は、観蔵寺に対し、債務不履行又は不法行為による損害賠償請求権に基づき、同原告の被った損害金一〇〇万円と、これに対する訴状送達の日の翌日である昭和五三年二月三日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求めることができる。

6  帳簿・書類の閲覧請求権

(一) 宗教法人の檀信徒には、以下に述べるとおり、宗教法人法二五条二項掲記の帳簿・書類の閲覧請求権があるというべきである。

(1) 宗教法人法は、宗教法人の信教の自由・自主性と責任・公共性の二つの要素を骨子として成り立っており、旧宗教団体法、宗教法人令に対する制度的改正点の一つは宗教法人の管理運営面の民主化でありその担い手は檀信徒以外にはないことが明らかである。

(2) 代表役員及び責任役員は、当該宗教法人の業務及び事業の適切な運営をはかり、その保持する財産についてはいやしくもこれを他の目的に使用し又は濫用しないようにしなければならず(宗教法人法一八条五項)、役員はこの趣旨に従って受任者として善良な管理者の注意をもって職務を行う義務がある。そして、宗教法人法は、受任者たる役員の事務処理報告義務として、信者その他の利害関係人に対しその行為の要旨を示してその旨を公告しなければならない(二三条)と定め、帳簿・書類については宗教法人の事務所に常に備え付けなければならない(二五条)と規定しているのである。

(3) 檀信徒には役員に対する直接の監督権を行使する手段がないとしても、檀信徒は、宗教法人の構成員であり、法人の機関である役員が適法に構成されているか否かについて法律上の利益を有しているし、檀信徒が財産的出捐をするのは、信仰の下に儀式を執行し教義を宣布し精神の安心立命を得るとの寺院の存立目的に奉仕するための経済的基盤を強固ならしめる意図をもって行うものであって、受贈者たる寺院は、目的実現のため財産を適正に管理運用しているかどうかを予め作成し備え付けている会計帳簿等により寄贈者たる檀信徒に知らしめる義務を負っている。

(4) このようにして、宗教法人法二五条は、檀信徒に対し、同条で作成・備付けを義務づけている帳簿・書類の閲覧請求権を認めているものと解される。

(二) また、責任役員は、世俗的事務一切について決定権を行使する(宗教法人法一八条四項、観蔵寺規則九条二項)不可欠の前提として、当該法人の財務等に関し帳簿・書類の閲覧等により調査を行う権利を有しているということができる。

(三) したがって、原告田辺多一は、観蔵寺及び以下の書類を占有している被告水野亮昭に対し、観蔵寺の檀徒及び責任役員としての地位に基づき、別紙目録一ないし三各記載の書類の、その余の原告らは、観蔵寺及び被告水野に対し、観蔵寺の檀徒としての地位に基づき、別紙目録三記載の書類の各閲覧を求め得ることができるというべきである。

7  結論

よって、原告らは、被告らに対し、請求の趣旨記載の裁判を求める。

二  被告らの答弁と主張

(認否)

1 請求原因1の事実中、原告田辺十代が檀徒である点を除いてその余は認める。

2 同2のうち、(一)の事実については、原告田辺多一が就任を承諾した年月日を否認し、その余は認める。(二)及び(三)の各主張は争う。同(四)の事実は認める。

3 同3のうち、(一)、(二)及び(四)の各事実を認め、(三)の主張を争う。

4 同4のうち、(一)、(二)、(四)及び(七)の各事実を認め、(三)、(五)及び(六)の各主張を争う。

5 同5については、(一)の事実中、観蔵寺が原告田辺多一主張の行為をしたことを認め、通知書の内容が真実に反することや根拠のない憶測であることは争う。(二)及び(三)の各事実は否認する。(四)の主張は争う。

6 同6の主張のうち、(一)及び(三)を争い、(二)を認める。

(主張)

1 原告田辺多一の責任役員たる地位の不存在

(一) 責任役員を解任する場合には特段の解任事由は不要であり、したがって解任に相当する事由がないとの原告田辺多一の主張は失当である。

また、責任役員の解任の適否は当該宗教法人の宗教上の秩序に関する事柄であり、宗教法人法八五条の趣旨からしても、自治団体たる宗教法人は原則的には内部規範の有権的解釈権を排他的に有しているというべきであって、裁判所は、宗教法人の内部秩序に関する事柄については当該宗教法人の採った解釈を尊重すべきであり、原則としてこれに介入することは許されない。

(二) 仮に責任役員を解任するには特段の解任事由が必要であり、裁判所が解任の適否について判断しうるとしても、原告田辺多一には以下に述べるとおり「三宝誹謗」の言動があり、同原告の解任には相当な理由があったということができる。

(1) 同原告は、昭和四九年一一月以降、妻である原告田辺十代とともに、故若井義弘住職に不正行為があったとか、原告田辺多一の印鑑を偽造していたと言って騒ぎ出し、昭和五〇年に入ると、「若井前住職の遺族は皆追い出してやる。」「俺が別の住職を連れてくるから南波住職もやめさせる。」「寺の帳簿は俺が一切管理する。」などと公言してはばからなくなった。また、同原告は、同年四月二五日、本田警察署長に対し、若井静枝及び小林脩の両名が同原告の氏名を冒用し責任役員会議事録及び財産処分承認申請書を偽造行使したとして右両名を告訴し、さらに、同年九月、南波住職が前住職の一周忌の法会を行うに際し、檀家に対して、前住職らの名誉を毀損する文言を用いてこれを妨害する文書を送付し、翌一〇月には、観蔵寺の全檀家に対し、「観蔵寺檀家総会開催の件」と題する文書を配布し、右文中で若井前住職や南波住職らを非難し、関係僧侶を「悪徳僧侶」「奸智にたけた僧侶」などと呼び、しかも若井前住職らが観蔵寺の財産の処分代金で個人資産を購入したなどと重大な名誉毀損事実を多々並べて慢罵の限りをつくしているほか、連日檀家を戸別訪問して右と同様の虚偽事実を吹聴して歩くなどの行為をした。

(2) 「三宝」とは、「仏・法・僧」の三宝を指すものであり、本件で原告田辺多一の行った「三宝誹謗」とは、特に僧宝に誹謗を加えこれを破壊しようとした事実をいうものである。僧宝とは、僧侶のみを指すものではないが、僧侶を指導者あるいは教化者とする僧伽を意味するものであって、別名「和合衆」あるいは「一味和合」と呼び、争いを好まず和をもって貴しとするところに重要な意味のあるものであり、和合衆たる教団によってはじめて他の二宝も維持され広められるものである。

同原告は、右(1)記載のとおり、口頭又は文書で多方面に対し、僧宝を誹謗する言動を繰り返し行ったものである。

(三) 責任役員の解任手続は、その選任手続と同一の手続を履践すれば足りる。原告田辺多一の責任役員からの解任手続は、請求原因2(一)記載のとおり責任役員選任手続(観蔵寺規則七条四項)と同一の手続によりなされたものであるから、何ら右手続に瑕疵はない。

なお、豊山派規程一八六条ないし二〇四条は、教師、準教師及び僧侶に関する懲戒の規定であり、右各条が僧侶の非行のみを対象としたものであることはその文言上明白であるから、右各条が非僧侶である責任役員の解任手続に適用がないことはいうまでもない。

2 南波義範住職任命の適法性

(一) 宗派の寺院の住職任命権は、豊山派管長の専権に属している。すなわち、豊山派においては、管長は、通常の場合には、責任役員が合議の上推薦した者を住職に任命するが(同派規程一二一条)、一定の要件が存する場合にはこれらの手続を要せず特命住職を任命することができるのであって(同規程一二二条)、住職の任命は管長の専権事項に属しており、当該寺院には住職の任命権限はなく、当該寺院における合議による推薦は候補者の推薦にすぎないものである。したがって、仮にこの推薦手続に瑕疵があったとしても、それ自体は住職任命手続の瑕疵とはいえず、本件では管長の任命行為自体についての瑕疵の主張がないのであるから、推薦過程の瑕疵の有無について論じる必要はない。

(二) 責任役員の合議は、会議形式によることは必ずしも必要ではなく、持ち廻り合議によるものでも差し支えないものである。また、責任役員の合議の場に責任役員以外の者が同席したとしても、それ自体は法律上何ら障害となることではないのであり、本件においては昭和四九年一一月六日、観蔵寺の責任役員三名の間に南波義範を観蔵寺の兼務住職に推薦するとの合議が成立したということができる。

(三) 仮に、原告田辺多一主張のとおり、南波義範を観蔵寺の兼務住職に推薦するとの豊山派管長への任命申請書中の同原告名義の部分が偽造されたものであるとしても、これらの文書は責任役員による推薦合議がなされたとの事実を証明する証拠の一つとしての意味を持つものにすぎず、右合議の事実が他の証拠によって証明される以上、右文書が偽造されたものか否かを判断するまでもなく、法律的な要件は充足されているものというべきである。

3 名誉毀損の不成立

原告田辺多一を適法に責任役員から解任したことが同原告に対する債務不履行や不法行為を構成しないことはもちろんであるうえ、同原告が指摘するその余の観蔵寺の行為も同原告の名誉毀損行為に対する正当防衛として行ったものであるから、観蔵寺の行為には何ら違法はない。すなわち、同原告は、前記1(二)記載のとおり「観蔵寺檀家総会開催の件」と題する文書を全檀家に配布し、南波義範やその他の役員の名誉と亡若井義弘の名誉を毀損したほか、それ以降全檀家に対し口頭でおおむね右文書と同様な内容を吹聴して歩く名誉毀損行為を行っており、同原告指摘の文書は同原告のこれらの行為に対する正当防衛として発送されたものである。このような経緯に鑑みれば、原告の名誉が毀損されたか否かは、個々の文書の記載だけを取り上げて検討するのではなく、双方の一連の文書などによる言動を比較衡量して判断すべきであり、これらを総合的に検討すれば、同原告に対する名誉毀損は成立しないというべきである。

4 帳簿・書類の閲覧請求権の不存在

(一) 檀信徒には、以下に述べるとおり、宗教法人の帳簿・書類の閲覧請求権はないと解するのが相当である。

(1) 宗教法人法は、既存の宗教団体に対し法人格を任意に取得させることを目的とするものであり、したがって、従前当該仏教団体や仏教寺院において檀信徒に対し帳簿・書類の閲覧請求権を認める制度や慣行が存在しない限り、宗教団体が宗教法人化することによって従前は檀信徒が行使し得なかった閲覧権を新たに取得することはないというべきである。本件においてはこの点についての主張・立証は何らなされていないから、原告らに帳簿・書類の閲覧請求権があるということはできない。

(2) 帳簿・書類の備付け義務を定めている宗教法人法二五条二項も檀信徒に右帳簿・書類の閲覧権を認めた規定とはいえない。

同条項の立法作業や国会での審議過程中にも同条項が閲覧権の根拠となるとの解釈は採られていなかったし、かえって右審議の過程からは、宗教法人の帳簿・書類の備付け義務は、同法により事務決定機関として位置付けられた責任役員制度を十分に機能させるため責任役員にその判断資料を提供すること及び宗教法人が収益を伴う事業を行う場合の税務上調査に資することのために設けられたものであると解されるのであり、決して檀信徒に対し閲覧させることを目的としたものとは解されない。

(3) また、旧宗教団体法九条が使用していた「閲覧・謄抄本交付請求」等の文言が宗教法人法では使用されていないことからも、同法はこの問題を各宗教法人の内部自治に委ねたものと解される。観蔵寺規則には檀信徒の閲覧権を認める明文規定はなく、そのような慣行も存しないから、檀信徒に閲覧権があるということはできない。

(4) 投下資本の回収に直接・重大な利害を有する株主についてすらその帳簿等の閲覧請求権の行使には各種の制約が明定されているのであり、株主よりはるかに関係の薄い宗教法人の檀信徒に対して、明文の規定もないにもかかわらず無制限の閲覧権を解釈上肯定するのは余りにも大きな飛躍であって、とうてい採り得ない解釈である。

(二) 原告田辺多一は責任役員との立場からも別紙目録記載一、二の各書類の閲覧を求めているところ、責任役員には右(一)(2)記載のとおり宗教法人法二五条二項の帳簿・書類の閲覧請求権があることは争わないが、同原告は、既に責任役員を解任されもはやその地位にはないから、過去の存在中の書類等についても過去の地位に基づいて閲覧する権利があるということはできない。

三  被告らの主張に対する原告らの認否

被告らの主張はすべて争う。

第三証拠《省略》

理由

一  請求原因1の事実中原告田辺十代が観蔵寺の檀徒である点を除くその余の事実、同2(一)(原告田辺多一が責任役員就任を承諾した年月日を除く。)及び(四)の各事実、同3(一)、(二)及び(四)の各事実、同4(一)、(二)、(四)及び(七)の各事実並びに同5(一)のうち観蔵寺が原告田辺多一主張の行為をしたこと、以上の各事実は当事者間に争いがなく、原告田辺十代が観蔵寺の檀徒であることは観蔵寺が明らかに争わないから、これを自白したものとみなす。

二  右一の各事実に、《証拠省略》を総合すると、以下の事実が認められ(る。)《証拠判断省略》

1  観蔵寺は、昭和二八年六月一日、その包括宗教団体である豊山派に属し、豊山派の教義をひろめ、儀式行事を行い、信者を教化育成し、その他寺院の目的を達成するための業務及び事業を行うことを目的として東京都葛飾区に設立された宗教法人であり、豊山派の総本山は、奈良県桜井市大字初瀬所在の長谷寺である。

2  観蔵寺の初代の住職及び代表役員は訴外清水義道であったが、同人は、昭和三五年七月一日辞任し、若井義弘が同月九日観蔵寺の住職及び代表役員に就任した。

3  原告田辺多一は、昭和三六年一〇月八日、若井義弘から、吉澤茂治、菅谷高志とともに観蔵寺の総代に選任されて就任し、昭和三九年一〇月七日にその任期が満了したが、後記28記載のとおり昭和五〇年九月一四日に後任の総代が選任されるまでその地位にあった。

また、同原告は、昭和三七年六月、観蔵寺規則七条四項に則り、豊山派代表役員から任命されて観蔵寺の責任役員に就任し、その後三回の再任を経て、昭和四九年八月二九日、五期目の責任役員に就任した。

4  同原告は、昭和三六年一〇月以降、観蔵寺の財産の管理、処分について、代表役員若井義弘から数々の相談を受けており、昭和四〇年八月ころなされた観蔵寺の敷地内にある元水路敷(国有地)の売払申請の際には観蔵寺の「責任役員総代」との肩書の下に同意書を提出しているが、若井義弘が死亡した昭和四九年九月一一日までの間に観蔵寺の責任役員会議に出席したことはなかった。

5  若井義弘の妻若井静枝は、昭和三五年八月一〇日以降、観蔵寺の責任役員となっていたが、昭和四九年三月ころまでは若井義弘から観蔵寺の財産の管理、処分について相談を受けたことはなく、観蔵寺の責任役員会議に出席したこともなかった。

6  若井義弘は、昭和四九年三月二八日、訴外青和信用組合の事務理事で観蔵寺の世話人でもある訴外鈴木秋次郎から、青和信用組合として、観蔵寺の所有地の一部である東京都葛飾区高砂三丁目一四九五番六、七宅地二四二・九六平方メートル(以下「本件土地」という。)を買い受けたいとの申入れを受け、翌二九日以降、一人であるいは右鈴木とともに原告田辺多一宅を訪れ、この件について同原告に相談していた。

7  若井義弘は、その後間もなく、胃癌のため入院して手術をし、同年六月二二日ころに退院したが、同年七月一七日には再入院し、同年九月一一日死亡するまで退院することはなかった。

8  若井義弘は、入院中も鈴木秋次郎らの訪問を受けて青和信用組合との間で本件土地の売却の話を進め、同年七月下旬ころ、妻静枝を通じて原告田辺多一に電話し、青和信用組合に本件土地を坪一三万三〇〇〇円で売却する旨伝えて同原告の了承を得た。

そこで、若井義弘は、同年八月八日、右静枝を右売却の仲介業者である訴外星野商事の事務所に差し向け、同女に、観蔵寺と青和信用組合との間の本件土地を代金九七七万四一七〇円で売却する旨の売買契約書中の観蔵寺代表役員若井義弘名下に右代表役員印を押捺させて右契約を成立させ、右代金を受領した。

さらに、若井義弘は、同日以降同年八月二八日までの間に、本件土地の売買に関し、同年七月五日に観蔵寺本堂で開催したとする責任役員会議事録、豊山派管長に対する寺院財産処分承認申請書を同女に口授して作成させた。その際、若井義弘は、右各文書中の代表役員の署名部分に押印したほか、責任役員である原告田辺多一、右静枝及び小林脩の各記名部分にも観蔵寺に保管されていたこれらの者の責任役員登録印(以下右のうち田辺と刻した印鑑を「本件印鑑」という。)をそれぞれ押捺して右各文書を完成させた。そして、若井義弘は、同年八月二八日、右各文書を、右静枝を通じて、豊山派東京都第三号宗務支所である金蓮院(住職鈴木常俊)に提出した。

なお、同年七月五日に観蔵寺の責任役員会議が開かれた事実はない。

9  被告水野亮昭は、観蔵寺とともに正福寺を本寺とする末寺の関係にある遍照院の住職であり、観蔵寺の先代住職でかつ若井義弘の師匠である清水義道とは兄弟弟子であることから、観蔵寺及び若井義弘とは法類の関係にあり、従前から正福寺の種々の行事を通じて若井義弘を知っていたが、昭和四八年ころから、被告水野が胃の手術をした経歴があることもあって両者は親密な間柄になり、同被告は、若井義弘の退院中の昭和四九年六月二九日に行われた同人の妻若井静枝と同人の子若井弘雅の得度式の相談を受け、その準備を手伝うなどしていた。

同被告は、若井義弘の入院中何度か同人を見舞いに訪れていたが、同人は死亡する際同被告に後事を託して息を引き取った。そこで、同被告は、以後法類の立場から観蔵寺に積極的に関与するようになり、同年一〇月一五日に行われた若井義弘の本葬の際には、法類を代表して、観蔵寺の責任役員で総代であった原告田辺多一に葬儀委員長となるよう依頼した。

10  南波義範は、豊山派の教師であって、観蔵寺の本寺にあたる正福寺の住職であるとともに、被告水野亮昭及び清水義道とは兄弟弟子であり、観蔵寺及び若井義弘とは法類の関係にあった。南波義範は、観蔵寺とこのような関係にあることから、被告水野らに求められて、昭和四九年六月二九日に行われた若井静枝、弘雅の得度式では同人らの師匠となり、同年一〇月一五日の若井義弘の本葬でも導師役をつとめた。なお、南波は、昭和四九年ころは豊山派の総本山である長谷寺の執事の地位にもあった。

11  被告水野は、若井義弘の本葬後、観蔵寺の後任住職の選任について同被告なりに検討を始め、故若井義弘住職の子若井弘雅が若年で未だ後任住職となる資格を有していなかったことから、兼務住職が任命されることが適当であり、兼務住職には観蔵寺との関係等から南波義範が適任であると考えるにいたった。被告水野は、昭和四九年一〇月中に、若井静枝のほか、法類総代の訴外樋口義章、若井義弘の出身の東光寺の意向をも聴取したが、いずれも被告水野と同意見であり、南波も、同被告から、観蔵寺の兼務住職に就任することを求められて、これを了承した。

12  若井静枝は、昭和四九年一一月五日、観蔵寺の後任住職選任のための責任役員会議を翌六日に開くこととして、責任役員である原告田辺多一と小林脩にその旨を連絡した。また、法類樋口義章や故若井義弘の母である訴外若井ヤウ、兄で東光寺住職の若井弘文にも右会議に同席してくれるよう依頼した。

13  被告水野は、同月五日、観蔵寺で、若井静枝に対し、責任役員会議や豊山派代表役員に対する住職の任命申請の手続について説明していた際、本件印鑑を含む責任役員の登録印が観蔵寺に保管されていたことを知り、原告田辺多一に本件印鑑のことを報告し、同原告と翌日の責任役員会議の打合わせをも行おうと考えて、右静枝を伴い、同原告宅を訪れた。

14  被告水野は、同原告宅で、同原告に対し、後任の住職には兼務住職で南波義範が適当であると考える旨述べたほか、観蔵寺に本件印鑑が保管されていたことを告げた。これに対し、同原告は、観蔵寺に印鑑を預けたことはなく、そのような印鑑は知らないと答えたため、被告水野と若井静枝はそのことで同原告に謝罪した。

15  昭和四九年一一月六日午後七時ころ、観蔵寺には、原告田辺多一、小林脩及び若井静枝の三人の責任役員全員が集まったほか、法類として被告水野、樋口義章、故若井住職の親族として若井ヤウ、若井弘文、それに原告田辺十代も同席した。被告水野は、司会をつとめ、責任役員以外の者の発言を禁じたうえ、後任住職に兼務住職として南波義範を推薦したところ、前記の責任役員三名は、これに同意し、その旨の責任役員三名の合議が成立した。なお、その際、同席した他の者からも右合議について何ら異議は出されなかった。その後、出席者全員の間で、若井家や観蔵寺の今後のことが色々と話し合われ、観蔵寺の寺務を若井静枝が行うこと、南波義範が長谷寺で執務中のため法類である被告水野が相談を受け助言を行うこと、同日の責任役員会議事録は同被告において文書の作成を行うことがそれぞれ了承された。

16  原告田辺多一は、本件印鑑が観蔵寺に保管されていることを知って、右印鑑が同原告に無断で用いられているのではないかと考え、同月八日、豊山派の東京第三宗務支所となっていた金蓮院を訪れ、同寺住職の鈴木常俊に自己の責任役員の印鑑が偽造されている旨告げて、同支所に保管されている印鑑簿を閲覧し、自己の知らない本件印鑑の押捺された印鑑票があることを知った。その際、鈴木常俊は、同原告に対し、寺院が豊山派に許可申請をする際には、責任役員は届出印で押印することが必要であることを説明したうえ、同原告の届出印が偽造されたものであるとすれば、改印手続を行うことを勧めた。

17  被告水野は、同月一二日までに、原告田辺多一ら観蔵寺の責任役員三名と兼務住職の被推薦者南波義範や法類総代の樋口義章が申請者として氏名を連ねた兼務住職任命申請書、右責任役員三名名義の「寺院規則所定の手続を経たことを証する書類」と題する書面及び前記15記載の合議の内容を記載した責任役員会議事録を作成したうえ、同月一二日、若井ヤウ及び若井静枝とともに、原告田辺多一宅を訪れ、同原告に対し、本件印鑑を返還して右印鑑の件で詫びを述べた後、右各書類を作成したことを告げてその内容を説明した。

これに対し、同原告は、豊山派に提出する書類には登録印を使用する必要があることから、今回に限り本件印鑑を使用することとし、本件印鑑で右各書類中の同原告の記名部分の下にそれぞれ押印した。

そこで、被告水野らは、同日、右各書類を東京都第三号宗務支所を通じて豊山派に提出した。

18  南波義範は、右任命申請手続終了後の同月二四日、若井静枝の案内で原告田辺多一宅を訪れ、同原告に対し、観蔵寺の兼務住職に就任するについての挨拶を行った。

19  南波義範は、翌二五日、豊山派管長から観蔵寺の兼務住職に任命され、観蔵寺規則七条一項によりあわせて代表役員にも就任した。そして、観蔵寺では、同月二七日、責任役員や総代、世話人らが出席する世話人会が開かれ、南波義範が観蔵寺の兼務住職に就任したことが披露され、同年一二月には、全檀家に対し、書状でその旨の報告がなされた。

20  原告田辺多一は、このころまでには、本件印鑑が同原告に無断で使用されて観蔵寺の財産が処分され、そのため責任役員である同原告にも何らかの責任が及ぶのではないかと考えるようになっており、同年一一月二七日の観蔵寺の世話人会の席上、他の世話人らに本件印鑑を示し、観蔵寺の財産を処分する際の豊山派に対する許可申請書に本件印鑑が同原告に無断で使用されていたことを説明したうえで、被告水野や若井静枝らに対し、観蔵寺の帳簿等の閲覧を求めた。

21  観蔵寺では、同年一二月二四日、右20記載の原告田辺多一の要求に答える形で世話人会が開かれ、被告水野や若井静枝らは、当日出席した同原告や鈴木藤一外数名の世話人らに対し、本件土地の売却代金その他を預金した観蔵寺の全預金通帳、債券類、契約証書等を示したところ、同原告も、同日は、これらの書類を閲覧して一旦は納得し、それ以上の要求をしなかった。

22  しかし、同原告は、その後、観蔵寺の財産関係についてさらに調査しようと考え、昭和五〇年一月から翌二月にかけて、一人であるいは小林脩とともに、合計三回にわたり、観蔵寺で、若井静枝立会の下に、観蔵寺の寺院規則、檀家名簿あるいは有価証券、預金通帳、財産目録、地代明細書、会計帳簿を閲覧し、その一部を書き写した。

23  同原告は、同年四月二五日ころ、本田警察署長に対し、若井静枝及び小林脩を私文書偽造、同行使罪で告訴した。その内容は、右両名が若井義弘と共謀の上、前記7記載の責任役員会議事録及び財産処分承認申請書のうち同原告名義の部分を偽造し、豊山派管長に提出交付したというものであった。右事件は、その後検察官に送致されたが、検察官は右両名を不起訴処分にした。

24  同原告は、同年七月一日、南波義範が同原告宅を訪れた際、南波に対し、同人を観蔵寺の兼務住職に任命申請した際の書類を閲覧したい旨を申し入れた。

25  観蔵寺では、南波義範が兼務住職であって世話人らと接する機会が少ないことから、同年八月七日に行われる施餓鬼会終了後に総代世話人会を開くことにして、同日、総代世話人会を招集した。原告田辺多一は、右総代世話人会の席上、前月一日に引き続き、南波義範を観蔵寺の兼務住職とすることを合議した際の責任役員会議事録等の閲覧を求め、その場でこれらの呈示を受けてその内容を確認した。

26  原告田辺多一は、同年八月二六日、南波義範に対し、内容証明郵便で、同人が昭和四九年一一月一二日付の観蔵寺の責任役員からの推薦状に基づき豊山派管長から観蔵寺の兼務住職に任命されたと称し現在執務中とのことであるけれども、自分は右推薦状を作成した事実はなく、右推薦状に基づく任命は無効であるとの通知をしたのをはじめとして、同年八月二七日には、前記25記載の総代会の席上南波義範が行った。観蔵寺の財産等は兼務住職の責任において保管している旨の答弁はお粗末であることや、昭和五〇年六月四日の総代会の招集通知が同原告にはなかったことを指摘したうえで、右両日の総代会は八百長会議であり南波が承知のうえのことなら責任は同人にある旨を通告し、さらに同年九月二日には、昭和四九年一一月六日の会議の席上で若井ヤウが若井静枝に対し南波が兼務住職となっても観蔵寺は今までどおり少しも変わらないと述べたことを捉え、若井家と南波との間に何か裏契約でもあるのかと疑い、公私を混同すべきでない旨を申し入れた。

27  観蔵寺は、昭和五〇年九月、住職南波義範の名において、全檀家に対し、同月一一日に清水義道元住職の七回忌と若井義弘前住職の一回忌の追善法会を施行する旨の文書を発送したところ、原告田辺多一は、同月五日ころ、観蔵寺責任役員田辺多一の名で、全檀家に対し、若井義弘は生存中観蔵寺に大損害をかけていること、本件印鑑を偽造し文書を偽造して前後六回にわたって寺有地一四〇〇坪余を売却したこと、右売買代金その他観蔵寺の所有金は一切不明瞭であること、若井静枝及び小林脩を告訴したことを指摘し、この件が結着しないまま総代会の議も経ないで観蔵寺の所有金を用いて行う法会は違法であるとしたうえで、右法会への欠席を求める文書を送付した。

28  南波義範は、昭和五〇年九月一四日、右法会を施行した後、前記3記載のとおり昭和三九年一〇月以降選任されていなかった観蔵寺の総代に吉澤茂治、関根文三及び鈴木藤一を選任し、同人らから就任の承諾を得たうえで、翌一五日、東京都第三号宗務支所を通じ豊山派管長にその旨届け出た。

29  観蔵寺は、昭和五〇年九月一七日ころ、住職南波義範名で、全檀家に対し、原告田辺多一の指摘する寺有金一切不明瞭等は全く事実に反することや檀徒総代に鈴木藤一外二名を選出したこと等を記載した文書を送付した。

30  原告田辺多一は、同年一〇月七日ころ、責任役員田辺多一の名において、全檀家に対し、「観蔵寺檀家総会開催の件」と題する文書を配布した。同原告は、右文書中で若井義弘や南波義範らを「悪徳僧侶」あるいは「奸智にたけた僧侶」などと表現しているほか、若井義弘が本件印鑑を偽造し文書を偽造して観蔵寺の所有地を売却したとしてその売却土地の一覧表を添付し、「右売却代金で若井義弘及び若井静枝の個人名義の別荘、土地を購入したことが判明した」あるいは「若井静枝及び小林脩らは若井義弘と馳れ合って観蔵寺の財産を壟断した」として購入不動産の一覧表をも添付している。

なお、同原告は、観蔵寺の寺有土地売却一覧表記載の土地の売買のうち、訴外京成電鉄株式会社に対するもの以外は、当時、若井義弘から相談を受けたり売却の内容を了承していたものであり、京成電鉄株式会社に対するものについても少なくともその一部は相談を受けていた。また、観蔵寺の不動産の売却代金で若井義弘らの個人名義の別荘等を購入したこと及び若井静枝と小林脩らが観蔵寺の財産処分に関与していたことを認めるに足る証拠はなく、これらは同原告の想像の域を出るものではなかった。

31  このような原告田辺多一と観蔵寺とのやりとりの中で、観蔵寺の世話人のうち長老格であった訴外青木晟は、話し合いによって事態を収拾しようと考え、同年一〇月一三日、総代を含む世話人数名とともに、同原告宅に赴き、同原告を説得しようとしたが、同原告が若井前住職の遺族を観蔵寺から追い出さなければ気が済まない旨発言したので、話し合いによる解決を断念した。

32  同月一六日、観蔵寺において、吉澤茂治、関根文三及び鈴木藤一の三人の総代全員が出席して総代会が開かれ、右席上、原告田辺多一が全檀家に文書を配布して、若井前住職らを誹謗したことや若井前住職の一周忌の法会に出席しないよう求めるなどの行為をしたことが三宝誹謗の言動にあたるとの判断の下に、同原告を責任役員から解任するよう上申すること、後任の責任役員として吉澤茂治を推薦することを合議して決定した。そして、南波義範は、翌一七日、観蔵寺住職として豊山派代表役員に対し、同原告の解任申請をし、右豊山派代表役員は、同月二五日、同原告を観蔵寺責任役員から解任し、同原告にその旨通知した。なお、同日、吉澤茂治が後任の責任役員に任命された。

33  南波義範は、同月一七日付け及び同月三〇日付けで、鈴木藤一ら三名の総代との連名で、観蔵寺の全檀家に対し、原告田辺多一が送付を求めている檀家総会開催及び幹事選出についての同意書を同原告に送付しないよう、既に送付した場合には送付を撤回するよう求め、また、前記30の文書に反論し、同年一一月三日の檀家総会なるものには出席しないよう求める文書を送付した。右の一〇月三〇日付けの文書中には、「田辺氏のこれまでの言動に鑑み、同年一〇月二五日、責任役員から解任した」「田辺氏は、このことを承知で肩書を詐称している」「田辺氏は、昨年来不当な言動を繰り返してきた」「一〇月一三日、田辺氏が新しい世話人、総代らに対し、私の目的は南波住職をやめさせ故若井住職の遺族を追い出すことが目的であると公言した」「田辺氏は観蔵寺の帳簿、通帳等一切を自分が保管するとも述べている」「田辺氏は私的な目的のために皆様の間に混乱を起こそうとしている」との各記載がある。

34  南波義範は、観蔵寺規則七条四項により法類その他の者から代表役員によって選定された者の一人として責任役員となっていた小林脩が同月一六日就任したことを受けて、法類の中から被告水野をその後任者として選定し、豊山派代表役員は、同月二五日、被告水野を観蔵寺の責任役員に任命した。

被告水野は、その後も、昭和五三年二月一日、引続き兼務住職の地位にあった南波義範からの選定に基づき、豊山派代表役員から観蔵寺の責任役員に任命された。

35  南波義範は、観蔵寺の兼務住職としての三年間の任期満了後の昭和五三年二月七日、所定の手続を経て、再び観蔵寺の兼務住職に任命され、あわせて代表役員となった。

36  若井弘雅は、豊山派の教師の資格を取得した後の昭和五六年四月一三日、観蔵寺の代表役員南波義範、責任役員水野亮昭、同吉澤茂治及び同若井静枝の合議による推薦を経て、豊山派管長から観蔵寺の住職に任命され、あわせて代表役員に就任した。

37  被告水野は、昭和五七年六月二三日、観蔵寺の代表役員若井弘雅の選定に基づき、豊山派代表役員から観蔵寺の責任役員に任命された。

三  右一及び二の各事実を前提に原告らの請求の当否について検討する。

1  原告田辺多一の責任役員たる地位について

(一)  宗教法人とその責任役員との関係は、委任ないし準委任の契約関係にあるものと認められるところ、委任ないし準委任契約は当事者間の信頼関係を基礎として、受任者が委任者のために事務を処理することを目的としており、本来、受任者は委任関係の継続によって特別の利益を得るものではないのであるから、委任者は受任者の地位を保障する必要はなく、したがって委任者は契約をいつでも任意に解除することができるのを原則とするが(民法六五一条一項)、委任契約が受任者の利益をも目的としており、委任契約の継続が受任者の利益を保護するために必要と認められる事情が存する場合には、委任者の解除権が制限されると解するのが相当である。

これを本件についてみると、宗教法人の責任役員は、その職務の性格上、その地位にとどまり法人の事務を行うことがその者の利益でもあるとは解し難いものであり、観蔵寺の責任役員就任が原告田辺多一の利益をも目的と責任役員として事務を処理することが同原告の利益を保護するために必要であるとの特段の事情が存在することについては何ら立証がない。したがって、同原告を責任役員から解任するについては格別の理由を要しないというほかなく、同原告に著しい不誠実な行動があったことが必要であるとする同原告の主張は採用できない。

(二)  次に、責任役員の解任手続については、観蔵寺規則に右手続についての明文の規定がない以上、選任の場合と同一の手続によれば足りるものと解するのが相当である。原告田辺多一は、責任役員の解任手続には豊山派規程一八六条ないし二〇四条が適用される旨主張するが、右規定はいずれも僧侶に関する懲戒規定であり、このような厳格な規定が置かれたのは宗教法人ないし宗教団体における僧侶の地位の特殊性によるものであると解されるし、右規定が対象を特に僧侶に限定しているにもかかわらずこれを責任役員にも適用すべき特段の事情も見出し得ないから、右規定の適用を認めることはできない。

そこで、前記認定事実によると、原告田辺多一は、昭和三七年六月、観蔵寺規則七条四項に則り、豊山派代表役員から任命されて観蔵寺の責任役員に就任して以来、数度の再任を経て引き続きその地位にあったものであるが、昭和五〇年一〇月一六日、吉澤茂治、関根文三及び鈴木藤一の三人の総代(原告田辺多一は、この者らのうち二名の総代資格をも争うが、この者らが同年九月一四日以降総代の地位にあったことは後記2記載のとおりである。)が合議の上解任の上申を行い、これを受けて、同月二五日、豊山派代表役員が同原告を解任したことが認められるから、選任について定められた観蔵寺規則七条四項の手続と同一の手続が履践されており、同原告の解任手続には瑕疵がないということができる。

(三)  ところで、原告田辺多一は、右解任権の行使について権利の濫用であるとも主張しているので、この点について検討する。

前記認定事実によると、観蔵寺の住職であった若井義弘は、少なくとも原告田辺多一が責任役員に任命された昭和三七年六月以降は観蔵寺の責任役員会議を開いた形跡はなく、同原告の了解を得ることなく本件印鑑を用いて責任役員会議事録や寺院財産処分承認申請書等を作成し、観蔵寺の財産処分行為を行ってきたものと認められる。しかしながら、原告田辺多一が若井静枝及び小林脩を告訴した点についてみると、同人らが私文書偽造等の共同正犯であることについて明確な証拠はなく、檀家に対して発送した文書中の、若井義弘が生存中寺に大損害をかけた、あるいは観蔵寺の所有土地の売却代金で若井義弘らの個人名義の別荘、土地を購入したことが判明したとの点についても、何ら確証がなかったのであり、同原告のこのような行動は十分な調査や検討なしになされているものといわざるを得ず、これらの過激な行動が観蔵寺及びこれをささえる檀信徒の間に混乱を引き起こしたことは否定できない。また、右文書中の若井義弘らに対する「悪徳僧侶」や「奸智にたけた僧侶」といった表現は明らかに名誉毀損的なものであるし、自ら南波義範の兼務住職就任に同意し関係書類に押印しながら、後になって南波に対しその事実を否認しその任命を無効と主張する通知を行ったことは、責任役員として問題にされるべき言動であるといわなければならない。加えて、全檀家に対し南波住職が主催する若井前住職の一回忌の法会を違法として右法会に欠席を求める文書を送付したのは、明らかに行きすぎであったというほかない。

原告田辺多一の解任にいたるまで同原告が右のような言動を行ってきたことに鑑みれば、たとえ同原告主張の点を考慮に入れたとしても、解任権の行使が権利の濫用にあたるということはできない。

(四)  このようにみてくると、原告田辺多一の責任役員からの解任に違法かつ無効な点はなく、また、前記認定のとおり後任の責任役員吉澤茂治が昭和五〇年一〇月一六日の総代会で同原告の解任上申決議と同時に合議の上推薦上申され、同月二五日豊山派代表役員により適法に任命されているから、同原告は、同日以降観蔵寺の責任役員の地位にはないことが明らかであって、同原告が責任役員の地位にあることの確認を求める請求は、理由がない。

2  原告田辺多一の総代たる地位について

原告田辺多一が昭和三六年一〇月八日観蔵寺の総代に選任され、昭和三九年一〇月七日その任期が満了したこと、南波義範が昭和五〇年九月一四日後任の総代に吉澤茂治、鈴木藤一及び関根文三の三名を選任する行為をしたことは、当事者間に争いがないところ、同原告は、同原告が現在も引き続き総代の地位にあることの理由として、南波義範が観蔵寺の代表役員及び住職の地位にはなく、したがって後任の総代の選任は無効である旨主張している。

《証拠省略》によると、総代は観蔵寺の維持経営に関し代表役員その他の責任役員を助けるものとされており(観蔵寺規則一五条四項)、法人の一つの機関として寺院規則により設置される法的地位であるということができる。

ところで、南波義範が昭和四九年一一月二五日以降観蔵寺の住職であったことは後記3記載のとおりであり、したがって、同人は、同日以降、観蔵寺規則七条一項により観蔵寺の代表役員の地位にあったものであって、同人が昭和五〇年九月一四日に行った三名の総代の選任行為には何ら瑕疵は存しないから、同原告の総代の地位にあることの確認請求も理由がなく、棄却を免れない。

3  南波義範の住職たる地位について

(一)  観蔵寺の住職は、豊山派の教師のうちから現住職の徒弟、法類、その他の者の順位により責任役員が合議の上推薦し、豊山派管長により任命される(観蔵寺規則七条二項、豊山派規程一二一条)ものであるところ、若井義弘に徒弟がいたことを認めるに足る証拠はなく、前記認定事実によると、南波義範は、豊山派の教師であるうえ、若井義弘の師匠清水義道とは兄弟弟子の関係にあり、また、観蔵寺の本寺にあたる正福寺の住職であって、法類に該当していたものであり、昭和四九年一一月六日、故若井義弘を除く観蔵寺の三人の責任役員である原告田辺多一、小林脩及び若井静枝の全員一致の合議により観蔵寺の兼務住職に推薦され、同月二五日、豊山派管長から観蔵寺の兼務住職に任命されたもので、同日以降その地位にあったものということができる。

(二)  原告田辺多一は、同日の会議には責任役員以外の者で若井家の身内にあたる者が出席しており、雑談が行われたにすぎない旨主張しているが、前記認定事実によると、同日は被告水野が司会役をつとめており、また責任役員以外の者が同席していたものの、その場では責任役員以外の者の発言は明確に禁じられていたのであって、責任役員の中から議長の選出がないことや、第三者が同席していたことをもって、責任役員会議に瑕疵があるということはできない。そして、その席で同原告を含む三人の責任役員が南波義範を観蔵寺の兼務住職に推薦することに同意したのであるから、その旨の合議が成立したことは明らかである。

(三)  また、同原告は、任命申請書中の同原告の署名押印は同原告が行ったものでない旨主張するが、前記認定事実によると、署名部分は被告水野が代署したものの、押印は同原告が内容を了知したうえ本件印鑑を用いて自ら行ったものと認められるから、右主張も失当である。

(四)  以上の次第で、南波義範は、昭和四九年一一月二五日以降、観蔵寺の兼務住職の地位にあったものといわなければならない。

4  被告水野亮昭の責任役員たる地位について

(一)  観蔵寺の責任役員三名中二名は、法類その他の者のうちから観蔵寺の代表役員が選定した者を豊山派の代表役員が任命する(観蔵寺規則七条四項)とされているところ、前記認定事実によると、被告水野は、観蔵寺の法類であり、昭和五〇年一〇月二五日と昭和五三年二月一日に観蔵寺の代表役員南波義範からの選定により、また昭和五七年六月二三日には同若井弘雅からの選定に基づき、豊山派代表役員から任命されて、観蔵寺の責任役員に就任しているのであって、被告水野は、昭和五〇年一〇月二五日以降観蔵寺の責任役員の地位にあるものということができる。

(二)  原告田辺多一は、南波義範が右各選定当時観蔵寺の代表役員の地位になかった旨主張するが、右主張は前記3記載のとおり失当である。

また、同原告は、昭和五七年六月二三日の被告水野の責任役員任命の前提となる若井弘雅の住職任命の際の推薦合義は、責任役員の地位にある同原告を排除し、責任役員の地位にない被告水野が加わった瑕疵あるものである旨主張するが、前記(一)記載のとおり、昭和五〇年一〇月二五日以降、被告水野は観蔵寺の責任役員の地位にあり、同原告はその地位にはなかったものであるから、同原告の右主張も失当であり、また、前記認定事実によると、若井弘雅は、昭和五六年四月一二日、適法に観蔵寺の住職に任命され、観蔵寺の代表役員に就任しており、したがって、同人が昭和五七年六月二三日に被告水野を観蔵寺の責任役員に選定し、これに基づき豊山派の代表役員が被告水野を観蔵寺の責任役員に任命したことにも違法はないということができる。

(三)  このようにして、被告水野は観蔵寺の責任役員の地位にあるということができるから、右地位の不存在の確認を求める原告田辺多一の請求は、理由がなく棄却すべきである。

5  名誉毀損について

原告田辺多一が名誉毀損行為と指摘する観蔵寺の行為のうち、同原告の言動を三宝誹謗にあたるとして同原告を解任した点は、前記三1(三)記載のとおり同原告の言動がそのように評価され、これにより解任されてもやむを得ないものである。

また、説明会通知書の記載中、「責任役員との肩書を詐称した」との点は、右文書を発送する前の昭和五〇年一〇月二五日に同原告が責任役員を解任されている以上、同日以降に責任役員と称することは肩書を詐称することになるし、前記二の23、26、27及び30記載の同原告の言動は「不当な言動を繰り返した」ものと評価することができる。そして、同原告がこれらの言動の目的は若井前住職の遺族を観蔵寺から追い出すことにある旨を言明したことは、前記二31記載のとおりである。

このようにして前住職の死後原告田辺多一によって執拗に繰り返された数々の行き過ぎた言動を見るならば、同原告がある種の意図のもとに関係者間にあえて混乱を引き起こそうとしているもののように推測することも、あながち理由のないことではないというべきであり、観蔵寺の右説明会通知書は同原告の発送した名誉毀損的な文書に反論する形で書かれたものであるという経緯をもあわせ斟酌すると、観蔵寺の右文書の発送をもって同原告に対する違法な行為と認めることはできないといわなければならない。

そうすると、右文書によっては原告に対する不法行為が成立しないのはもとより、仮に同原告と観蔵寺との間に同原告主張のような契約上の義務が存在するとしても観蔵寺には右義務違反の点はないものと解するのが相当であるので、損害賠償を求める同原告の請求も理由がない。

6  財産目録等の閲覧請求について

(一)  責任役員は、その職務遂行の必要上、当該宗教法人の帳簿・書類の閲覧請求権を有するものと認められるところ、前記三1記載のとおり原告田辺多一は昭和五〇年一〇月二五日に解任されて以降は観蔵寺の責任役員の地位にはないから、その余の点について判断するまでもなく、観蔵寺の責任役員であることを理由とする同原告の請求は理由がないことに帰着する。

(二)  そこで、観蔵寺の檀徒の地位に基づく原告らの主張の当否について判断する。

(1) 原告らが観蔵寺の檀徒であることは、前記一記載のとおりである。

(2) 檀徒が当該宗教法人の帳簿・書類の閲覧請求権を有しているか否かについて検討するに、宗教法人の運営には、宗教上の教義に基づく宗教活動としての一面が存するとともに、一個の団体としての財産管理及び事務処理を行う一面もあるのであって、前者は檀信徒がその世俗的立場からこれに干渉し介入し得ないものであるのに対し、後者は自らが寺院の財政的基礎を担う檀信徒にとって重大な関心である。宗教法人法は、これにこたえるべく、規則の作成(一二条三項)、変更(二六条二項)、合併(三四条一項、三五条三項、三六条)、解散(四四条二項)及び財産の処分(二三条)について信者その他の利害関係人に対する公告の制度を設け、解散の場合には更に信者その他の利害関係人に意見陳述の権利を認める(四四条三項)など、財産の処分及び組織上の重大な事項について代表役員や責任役員がその業務執行を公明適正に行い、財産関係をも含めた事務処理が明確かつ民主的に運営されることを確保するための規定を置いて、檀徒を含む信者に法律上特別の地位を認めているということができる。しかして、同法二五条二項が帳簿・書類の備付け義務を規定しているのは、当然に右帳簿等に対する何びとかの閲覧権を予定しているものと解することができるが、宗教法人の監督官庁や税務当局がその職責上これらを閲覧するのは閲覧権というよりは調査権能及び監督権能に基づくものであり、責任役員がこれらを閲覧するのも宗教法人の事務処理機関としてその職務を適正に遂行するために当然のこととして認められるべきものであって、いずれも備付け義務の有無にかかわりなく行われる性質のものであることを考え合わせると、同法二五条二項は、宗教法人の帳簿・書類備付け義務の反面として、少なくとも檀信徒には、当該宗教法人に対する右帳簿・書類の閲覧請求権を認め、宗教法人の公正・民主化という宗教法人法の目的を実現しようとしたものと解するのが相当である。

宗教法人法や当該寺院規則に檀徒たる地位に基づいて法人に対して行使しうる法律的な権利ないし資格を認める旨の規定が存しないことや、公告の対象事項に対する檀徒の意見、要望等を受け入れる制度が備わっていないことは、いずれも右解釈を否定するまでの理由とはいえず、その他この点に関する観蔵寺の主張はいずれも採用することはできない。

(3) なお、原告らの被告水野に対する閲覧請求は、宗教法人の帳簿等備付け義務を規定する宗教法人法二五条二項を根拠としてはこれを認めることはできないし、その他右請求を認めるに足る根拠を見出しえないから、同被告に対する請求は、すべて失当として棄却を免れない。

(4) 以上を前提として、原告らの檀徒としての地位に基づく観蔵寺に対する閲覧請求について各別に検討する。

まず、原告田辺多一が閲覧を求めている観蔵寺の予算及び会計報告書なる文書については、右報告書が宗教法人に備付け義務のある宗教法人法二五条二項所定の各文書のいずれに該当するかについては何ら立証がないから、右報告書の閲覧を求める請求は理由がないというほかない。

次に、責任役員会議事録は宗教法人法二五条二項四号により備付けが義務付けられている文書であるから、観蔵寺の檀徒である原告田辺多一は、昭和三七年一月一日から本件口頭弁論終結時であることが記録上明らかな昭和六一年五月一五日までの間に開催された観蔵寺の責任役員会の議事録の閲覧権があるものと認められ、右の閲覧を求める同原告の請求はこれを認容することができる。

さらに、財産目録については同条一項、二項三号により備付けが義務付けられている文書であり、成立に争いがない甲第一号証によると、観蔵寺の会計年度は毎年四月一日にはじまり翌年三月三一日に終了すること(観蔵寺規則二六条)、財産目録は毎会計年度終了後三か月以内に前年度末現在によって作成するものとされていること(同規則二〇条)が認められるから、観蔵寺の檀徒である原告らには、昭和三七年三月三一日以降本件口頭弁論終結前の昭和六一年三月三一日までの間毎年三月三一日現在で作成される財産目録の閲覧権があるものということができ、右財産目録の閲覧を求める原告らの請求も理由があるものと認められる。

四  以上の次第で、原告らの本件請求のうち、原告田辺多一の観蔵寺に対する昭和三七年一月一日から昭和六一年五月一五日までの間に開催された観蔵寺の責任役員会議事録の閲覧を求める請求と、原告らの観蔵寺に対する昭和三七年三月三一日以降昭和六一年三月三一日までの間毎年三月三一日現在で作成された観蔵寺の財産目録の閲覧を求める請求は、理由があるからこれを認容し、原告田辺多一の観蔵寺に対するその余の請求及び原告らの被告水野亮昭に対する請求は、いずれも理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担について民訴法八九条、九二条本文、九三条一項本文に従い、主文のとおり判決する。

(裁判官 山下寛 古部山龍弥 裁判長裁判官藤井正雄は転補のため署名押印できない。裁判官 山下寛)

〈以下省略〉

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